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2017/05/22

旅に出なさい

 かなりのハイペースでブログをアップしているのだが、実は月8本という目標を掲げた。また、一度の記事は1600字を基本とすることも同時に決めた。予てより「あんたのブログは長い」という批判を受けていたのだが、400字詰め原稿用紙4枚のどこが長いのか。これぐらいのボリュームがないと訓練にはならない。なにせ、こちとらプロの“物書き”を目指しているのである。こういうと大体、目の前の人は「痛い人」を見るような表情をするが、本人は至って真面目なのである。作家面してザギンのブークラでおねぇちゃんに囲まれご満悦、完璧な成功イメージは、とうに出来上がっている。あとは情熱と努力と運だけである・・・そう、だけ、である。

 

 さて、旅の話を書きたいと思う。私は50歳を過ぎて、趣味と呼べるものを持たずにいた。好きなことをして生きて行くと決めたのに、これというものがない。仕事だけしていれば楽しいのだが、もうひとつアクセントに欠けるだろう。趣味は片手間にやるものではない、命を懸けてこそ趣味と言えるのだと強引マイウェイの師匠に教わり、命はさておき、その通りだと思った。自分を顧みると、旅しかないと思えた。以降、旅をライフワークとすることにした。仕事と旅と、そうして生きて行こうと決めた。大概、ひとり旅である。帰って来て、どうだった?と人に聞かれるが、どうも説明が面倒くさいし、第一伝わらないだろう。だったら、このブログで紹介しようと思った。写真を簡単に載せられるのは、実に便利である。

 

 また、このブログを通して、若い人たちに旅に出ることを進めようと思っている。見るもの聞くもの感じるもの、全ては自己の感性で受止めるものだから、旅に出るなら敏感な若い時のほうがいい。吸収力も強い。外へ出れば、自分は何者かという問いに答えが見つからないまでも、なんとなく今自分が立っている位置ぐらいは掴めるだろう。何かに迷っているいたり、何をしていいのかわからないというのなら尚更いい。とにかく若いうちは、出来るだけ旅に出ることだと思う。

 

 私が自らの意思で、初めて旅と呼べるものに出たのは、19歳の春である。1ヶ月ほど、大学の友人と二人でアメリカに出かけた。当時はまだ1ドル250円の時代であった。成田とロサンゼルスの往復航空券が、29万8千円だった。高卒初任給が約7万円の頃の話である。旅行費は、1年以上のバイトで貯めた全財産を吐き出しても足らず、親の援助を受けての旅行だった。今思えば、絵に描いたようなドラ息子だったが、まだ、お金の価値もわからない子供だった私は、商売が順調だった父親の脛をかじることに遠慮はなかった。今さらながら感謝である。

 

 成田からロサンゼルスに入り、サンフランシスコ経由で飛行機とバスを乗り継ぎ、東海岸に渡った。中学時代の同級生がいるボルチモアが最終目的地だったが、行く先々で見るもの全てが新鮮で、驚くことばかりだった。特に、グランドキャニオンの見渡す限りの渓谷やエンパイアステートビルから見たニューヨークの夜景には度肝を抜かれ、感動というより、怖れのようなものを感じた。ディズニーランドの空気はそれまで吸ったことのないものだったし、サンタモニカの海岸には知らない風が吹いていた。我々を汚い犬でも見るような白人には何人も出くわしたが、近寄るのも憚れるような黒人には親切な人が多かった。直進しかできないようなリムジンも、身長2mを超える物乞いも、そこでは珍しいものではなかった。こんな国と戦争して、勝とうと思った国があるとは、とても信じられなかった。

 

 

 

 

 海外へ出て、「国」というものを初めて意識させられた。それまで意識したことなどなかったが、私のパスポートは日本のものではなく、韓国政府の発行したものだった。そして、パスポートの色の違いは、国力の違いを如実に反映するものだと思い知らされた。イミグレーションでそれを差し出すと、日本人の倍の時間がかかった。鼻くそのような旅行者でさえも、自国の力を感じた、そういう時代であった。

 

 現在、日本のパスポートは、世界最高の通行手形である。若い人たちは、その幸運をまず体感すべきであると思う。世界中の人たちが羨ましがるパスポートを持って、さあ、出かけなさい。行先はどこでもいい。その国が、今戦争さえしていなければ、入国を断られることはない魔法のフリーパスを、あなたは持っているのである。

 


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