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2017/08/08

恩師への恩返し

 高校時代にお世話になった野球部の監督の訃報が届いた。行けたはずの甲子園にお連れできなかったことが無念であり、それを約40年経った今も引き摺っている。あの時・・・と言葉にすれば世の中で一番愚かなことを口にすることになるのだろうが、私にとって野球に関しては、時計は止まったままなのである。

 

 そもそもあれは、私が小学1年生の時だったと思う。周りの皆が「スタジアム」と呼ぶ場所へ誰かに連れられて行った。急な階段を息せき切って昇り切り見下ろすと、眩いばかりの緑の芝生と白く輝くユニフォームたちが視界に拡がった。こんな美しい場所がこの世にあるのかと思ったほどの景色であった。あとはボールを打つ「カンッ」という乾いた音だけが記憶として耳に残っているが、とにもかくにも、その日から私は、そこで行われていた“野球”というスポーツの虜となった。

 

 スタジアム

 

 私たちの世代は、誠に運がいい。時は高度成長期である。野球道具に事欠いていた時代は終わり、商店街にはスポーツショツプが開店し、少し親にねだればグローブもボールも手に入った。戦後の混乱から立ち直った大人たちは、子供に野球を教える余裕もできたのだろう。小学4年生の時には、町内に「スポーツ少年団」という名で少年野球チームが結成された。今では笑い話だが、我々は揃いのユニフォームを着て、手には風船を持ち、ブラスバンドを先頭に町内をパレードしたほどである。当時、野球は私個人だけのものではなく、地域の象徴だった。大袈裟に聞こえるかも知れないが、子供たちの活躍が町の誇りとなり、戦後復興の、そして平和と繁栄の証だった。そういうことが、この歳になってようやく分かるようになった気がする。

 

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 いずれにしても、あの時代、全国津々浦々、スポーツと言えば野球しかなく、少しく元気のいい悪ガキは、半ば強制的にチームへ引っ張られた。その中でも群を抜いた連中が“上の野球”に行く。ただし、そこはもう“遊び”や“仲良し”レベルではなく、シビアに争う真剣勝負の世界である。何故なら高校野球は、地域の最大の関心事のひとつであり、郷土の名が胸に書かれたユニフォームを着たチームが甲子園に立つことは、地域挙げての悲願だったのである。そう、甲子園大会は単なる全国大会ではない。

 

 さて、自分で言うのもおこがましいが、中学三年生の時、私の野球をする力は、他の同年代の子供と比較してずば抜けていた。後年笑えるが、その時が私の選手としのピークだったのだろう。当然、“上の野球”に進むことを誰からも期待された。

 当時、市内で硬式野球部を持つ高校は一校しかなかった。というより、一校で充分なほどの名門校であった。プロ選手を何人も輩出し、県内では全国にも知られる県立岐阜商業に次ぐ実績であった。野球をやるなら多治見工業。甲子園を目指すのなら選択肢はない。当時、黄金時代を築き上げていた新興野球部の中京商へ行きたいなどと口にすれば、目の前の大人は人差し指を口に当て、私を人目につかない場所へと押込み、滅多なことは口にしない方がいいと諭したであろう。つまり、他所へ行けば非国民。たちまち町の敵となり恥となる。それほどのことなのであった。

 

 甲子園

 

 かくして“上の野球”に進んだのだが、部内のごたごたに巻き込まれ、3年間で4回も監督が代わるという異常事態を経験した。その中で最も長く指導を受けた監督が、この人である。しかし結果は、高校2年の秋、優勝候補筆頭に挙げられながら決勝リーグで敗退。監督は責任を取って辞表を提出した。

 今思えば滅茶苦茶な話だが、当時、師は30代後半の働き盛りの自営業者であった。公立高校の悲しさか、もちろん報酬などあろうはずがない。仕事も家族も放り出し、甲子園の夢に付き合ってくれたのである。皮肉なことに、その後チームは春の県大会を優勝し、譲り受けた新監督は、手つかずで優勝監督となった。優勝記念に小さなメダルが連盟からいただけたが、もちろん師は手にしていない。優勝ボールでも届けていればと思うのだが、そんな気の利いた高校生がいたら、気持ちが悪いだろう。

 

 くしくも知らせを受けたその日は、市民野球に駆り出され、一年ぶりにユニフォームに袖を通し、私は、あの「スタジアム」のグラウンドに立っていた。今や思い通りに投げることも打つことも適わないが、野球というスポーツの持つ素晴らしさを実感した。

 恩返しは“恩送り”が一番いい。受けた恩は返すのではなく、次の人に送りなさい・・・誰かが言ったそんな言葉を思い出した。「テメー馬鹿野郎!思い切っていかんかい!」、グラウンドに響き渡ったあれ以上の叱咤激励を、人生を通じて私は知らない。そう、あの恩を誰かにバトンタッチすることが大切なのだ。合掌。

 

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