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2017/10/09

痛風ですね

 アパート前の田んぼで稲刈りが始まった。この辺りは、だんじりの本場らしく、どの町内でも通りには提灯がぶら下がり、秋祭りの準備に忙しいようである。真夏に越して来たが、いつの間にか本格的な秋となった。

 

 新しい営業所の立上げが、いよいよ本格化し、コミタクのバスが大阪の街を走り出した。我々の仕事は、時間通りにバスを走らせるという単純かつ明快な仕事だが、これが結構手間がかかる。運賃見積もりから始まり、契約、時刻表等の運行企画策定、車両の調達や求人、教育、営業許可の取得・・・。バスが走り出したら走り出したで、どんな理由にせよ穴をあけることはできない。我々が手を抜けば、立ちどころに巨大物流センターが止まる。予測出得ることすべてに備え、万全を期す。当たり前を当たり前にこなすことに全力を傾ける。仕事は、単純なほど難しいのものなのかも知れない。

 

 始発が朝の6時から動き出し、終発のバスが帰って来るのが夜の11時。労働集約型産業の宿命として営業時間は長い。軌道に乗れば放っておいても回るのだが、立ち上がりはそうはいかない。その全てに付き合わされることになる。産みの苦しみがここにあるのだが、だから起業は面白い。日々何かが確実に変わって行く。それを自らの手で作り上げていく実感は、働き方改革などと怠ける言い訳を考えている輩にはわかるまい。体はしんどいが楽しくてしょうがない、止められない止まらないカルビーの、なのである。

 

 とはいうものの、全てを独りでやれないので、本社から応援に来てもらった。広いと持て余していた2DKのアパートは、たちまち合宿所となった。2日目の夜、相当興奮していただろう私は、“やってしまった”のである。スーパーで買込んだ半額シールの総菜をつまみに、ワイガヤ飲んでいたところ、ふと時計を見ると2時30分を針が指していた。「のやろ、電波時計のくせにいかれてんじゃねーかよ!」と言ったら、「いや会長合ってます」と部長。「は、はい!?」・・・。私は、いつの間にか暴走していたのである。エヴァのそれのように、それはもう誰も手を出すことはできず、神のごとき領域のイッチャッテル状態を呆然と見守るしかなった・・・ようである。次の日、というか、その日、というか、もうすぐ・・・5時になると社員が来る。

 

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 「バーロー、どうせ俺はクルマ乗らねぇんだし、ちょっとアルコールチェッカー貸せや」と点呼の最中の運転手からアルコール摂取量検知器を掴み取り、ふぅーっと息を吐いてみた。ピピピーッという音と共に液晶画面のバックライトは赤に変わり、「0.25」という数字が出た。「なにやってんすか、遊び道具じゃないっすよ」と運転手に窘められ、「おお、ちゃんと正常じゃねーか、チェックしてやったんだよ」という私に「乗務禁止命令です」って、キミ、何うれしそうな顔してんだよ。

 

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 やはり、この世に神様はいる。お天道様は見ている。その日の夜のことである。神は我に罰を与えたもーた。右足の親指付け根部分がピリリとし始めた。ベテランの私にはわかる。痛風の発作である。「来る。きっと来るぅ~♪」サダコを歌っている場合ではない。バーロー、んなもんで酒やめられるかぁ、痛風なんてよー、胃潰瘍や結石と比べたら鼻くそのようなもんだでよー」・・・確かに痛みの順位で行けばそうだが、間違っても鼻くそではない。風が吹いても痛いというのである、痛いのは痛い。靴下も履けないどころか靴も履けないどころか、歩けないということは這うしかない。

 

 痛風ですね

 

 横たわる私を見下げながら、常務である弟は「抵抗力が落ちてんだな」と一言。加齢によるとおっしゃられたいんですね、あーた。「会長、ゆっくり休んどいてください」という運行管理者は、お腹の中は別として、関西弁特有の優しいイントネーションでいかにも心配してますぅという感情を表現する。確かに若くはないか。コミタクを起ち上げた時は、平気で3ヶ月ほどこんな生活をこなした。あれから15年目を迎える。そうだな、自覚しなきゃな。窓の向こうで秋の虫が鳴いている。チンチロリン。

      

 

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 ・・・あれから1週間経っても、まだ足の腫れが引かない。右足に「ギブス装着用特殊サンダル」なるものを多少複雑な気持ちでA社の通販で買い、なんとかひきづって動いている。3度目の痛風発作だが、こんなことは初めてである。これまでは2、3日日で腫れと痛みは取れた。そうか、缶ビールを半分にし、芋焼酎を泡盛に変えても効果はないということか・・・。昭和を代表する稀代の作家、青島幸男の名文句が思い出される。よし、わかった、今日は水で薄めよう!

あの人は、まことの天才である。

 

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2017/08/14

アパートの初期費用

   九州撤退から舌の根も乾かないうちに、懲りない奴だと思われるのだろうが、大阪進出決定!である。え?今度は大丈夫なのかって?んなこと分かれば苦労しない。約束された成功などあるものか。そこに道があれば、その道を行くしかないのでる。ワンッ!
 
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 さて、営業所開設には色々とやることは多いが、とりあえずアパートを借りることにした。まずは足場を固めなきゃねというわけで、ネットで賃貸情報を調べ、営業所から一番近いアパートを狙い撃ちした。仲介の不動産会社など、どこでも同じだろうと「女性スタッフが親切に対応します」という甘い文言つられて電話を入れ、現場の下見もそこそこに、契約の段取りへと移ったのであるが、そこで素人には不思議な、かつ、にわかに納得できない経験をすることとなった。もちろん私には、不動産会社の友人が多数いるし、賃貸マンションを経営している者もいる。しかし、この際、言わしてもらおうではないか。
 

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 賃貸情報には、「2DK、家賃5万1千円、共益費2千円、駐車場4320円、敷金なし、礼金1ヶ月」と書かれていた。室内装備品は、エアコンやウォシュレットどころか照明器具も付いていないほどしょぼい物件だが、まあ、都会だから仕方がないと思いながらも、ざっくりで家賃二月分と礼金併せて、入居時には10数万円で大丈夫だろうと思っていた。ところがである。

 

 パレス西田

 

 まず、保証会社を付けるため保証料が要るという。あんた信用でけへんからねってことなのだが、年間約3万円プラス、毎年の更新料が1万2千円である。「そりゃあないんじゃないか?」と、期待していた女性スタッフに代わって対応した泉大津生まれの元巨人上原投手似、35歳男性独身営業マンに突っ込んでみた。年間60万ほどの家賃に何で年間4万も払うんだよというのが私の主張である。せっかく、さっき家賃千円値切ったのが水の泡じゃん、何とかしろよ。大体、保証会社を付けるのにも関わらず、保証人が要るってどうゆーことよ?「君、言ってることわかってる?保証人を立てるのなら保証会社要らんでしょ」。

 すると絶句している上原クンに助け舟をと奥からガテン系浪速の営業マンが出て来た。ガテンクンは、ねちっこい関西弁で「あんね、それは、保証会社に保証する保証人でんねん」と訳の分からないことをほざいたが、上原クンはどこかへ電話をかけ始めた。どこへかけてんの?と聞くと「管理会社です」という。どうやら大家さんとの間に管理会社という存在があるらしい。しかも、日頃取引のない会社らしく、融通が全く聞かないようなのである。ここまで既に現場下見から約2時間。どうでもよくなってきた私は、「まあいいから、とにかく全部でいくら要るのか計算書出せよ」と上原クンに指示をした。

 さらに計算書が出来上がるまで30分待たされたのであるが、イラついたついでに「女性スタッフが相手してくれるってネットに書いてあったぞ」と突っかかってみた。するとちょうどその時、自動ドアが開き若い女性が入って来た。「24歳、新婚3ケ月っす」って、言い方がイヤらしいんだよ、上原クン。「じゃあ毎晩ですか?」とセクハラど真ん中のセリフを吐きそうになったではないか。 image[3]

 

 さあ、実は問題はここからである。保証料など入口に過ぎなかった。私は貧乏人だからセコイ。セコイから貧乏である。ただ、筋が通っているものならきちんと払う。貧乏人にも道があるのである。

 「なんだ?このサポート代月々1522円って?」「抗菌コート代1万6千円!?要らんぞそんなもんって、鍵交換代も1万6千円かよ!?大家が払うべきもんじゃねーのかよ、なんなら鍵はそのまんまにしといてくれ」「ちょっと待てよ、礼金取ってんのに、仲介手数料5万ってなんだ?しかも、駐車場仲介手数料4320円!?」・・・「なんじゃかんじゃ付けて、これじゃあ詐欺じゃねえかよ。広告に偽りアリだろ!」、愚図るつもりはなかったが、疑問だらけ不可解だらけなのである。

 

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 そーゆうもんだと言われれば、そーゆーもんなのだろう。しかし、これが常識と言われちゃ、業界の方がおかしいと言わざるを得ない。結局、すたったもんだでトータル4時間半。約26万円もの大金を払って、私は仕方なく矛を収めた。1週間後に鍵の受け渡しを約束して帰ろうと思った時、上原クンはこう言った。「保証会社の審査、通るといいですね」・・・殴ったろか、上原!

 大阪は“家賃滞納率NO.1”の土地柄らしい。売る方も買う方も飽きないから「商い」だと言うと聞いたが、お互いの誠実って、何でしょうねぇ~。

 

 

2017/08/08

恩師への恩返し

 高校時代にお世話になった野球部の監督の訃報が届いた。行けたはずの甲子園にお連れできなかったことが無念であり、それを約40年経った今も引き摺っている。あの時・・・と言葉にすれば世の中で一番愚かなことを口にすることになるのだろうが、私にとって野球に関しては、時計は止まったままなのである。

 

 そもそもあれは、私が小学1年生の時だったと思う。周りの皆が「スタジアム」と呼ぶ場所へ誰かに連れられて行った。急な階段を息せき切って昇り切り見下ろすと、眩いばかりの緑の芝生と白く輝くユニフォームたちが視界に拡がった。こんな美しい場所がこの世にあるのかと思ったほどの景色であった。あとはボールを打つ「カンッ」という乾いた音だけが記憶として耳に残っているが、とにもかくにも、その日から私は、そこで行われていた“野球”というスポーツの虜となった。

 

 スタジアム

 

 私たちの世代は、誠に運がいい。時は高度成長期である。野球道具に事欠いていた時代は終わり、商店街にはスポーツショツプが開店し、少し親にねだればグローブもボールも手に入った。戦後の混乱から立ち直った大人たちは、子供に野球を教える余裕もできたのだろう。小学4年生の時には、町内に「スポーツ少年団」という名で少年野球チームが結成された。今では笑い話だが、我々は揃いのユニフォームを着て、手には風船を持ち、ブラスバンドを先頭に町内をパレードしたほどである。当時、野球は私個人だけのものではなく、地域の象徴だった。大袈裟に聞こえるかも知れないが、子供たちの活躍が町の誇りとなり、戦後復興の、そして平和と繁栄の証だった。そういうことが、この歳になってようやく分かるようになった気がする。

 

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 いずれにしても、あの時代、全国津々浦々、スポーツと言えば野球しかなく、少しく元気のいい悪ガキは、半ば強制的にチームへ引っ張られた。その中でも群を抜いた連中が“上の野球”に行く。ただし、そこはもう“遊び”や“仲良し”レベルではなく、シビアに争う真剣勝負の世界である。何故なら高校野球は、地域の最大の関心事のひとつであり、郷土の名が胸に書かれたユニフォームを着たチームが甲子園に立つことは、地域挙げての悲願だったのである。そう、甲子園大会は単なる全国大会ではない。

 

 さて、自分で言うのもおこがましいが、中学三年生の時、私の野球をする力は、他の同年代の子供と比較してずば抜けていた。後年笑えるが、その時が私の選手としのピークだったのだろう。当然、“上の野球”に進むことを誰からも期待された。

 当時、市内で硬式野球部を持つ高校は一校しかなかった。というより、一校で充分なほどの名門校であった。プロ選手を何人も輩出し、県内では全国にも知られる県立岐阜商業に次ぐ実績であった。野球をやるなら多治見工業。甲子園を目指すのなら選択肢はない。当時、黄金時代を築き上げていた新興野球部の中京商へ行きたいなどと口にすれば、目の前の大人は人差し指を口に当て、私を人目につかない場所へと押込み、滅多なことは口にしない方がいいと諭したであろう。つまり、他所へ行けば非国民。たちまち町の敵となり恥となる。それほどのことなのであった。

 

 甲子園

 

 かくして“上の野球”に進んだのだが、部内のごたごたに巻き込まれ、3年間で4回も監督が代わるという異常事態を経験した。その中で最も長く指導を受けた監督が、この人である。しかし結果は、高校2年の秋、優勝候補筆頭に挙げられながら決勝リーグで敗退。監督は責任を取って辞表を提出した。

 今思えば滅茶苦茶な話だが、当時、師は30代後半の働き盛りの自営業者であった。公立高校の悲しさか、もちろん報酬などあろうはずがない。仕事も家族も放り出し、甲子園の夢に付き合ってくれたのである。皮肉なことに、その後チームは春の県大会を優勝し、譲り受けた新監督は、手つかずで優勝監督となった。優勝記念に小さなメダルが連盟からいただけたが、もちろん師は手にしていない。優勝ボールでも届けていればと思うのだが、そんな気の利いた高校生がいたら、気持ちが悪いだろう。

 

 くしくも知らせを受けたその日は、市民野球に駆り出され、一年ぶりにユニフォームに袖を通し、私は、あの「スタジアム」のグラウンドに立っていた。今や思い通りに投げることも打つことも適わないが、野球というスポーツの持つ素晴らしさを実感した。

 恩返しは“恩送り”が一番いい。受けた恩は返すのではなく、次の人に送りなさい・・・誰かが言ったそんな言葉を思い出した。「テメー馬鹿野郎!思い切っていかんかい!」、グラウンドに響き渡ったあれ以上の叱咤激励を、人生を通じて私は知らない。そう、あの恩を誰かにバトンタッチすることが大切なのだ。合掌。

 

2017/08/01

セーラー服と野球部

 アニメ映画が好きで、ここのところ“感動もの”にハマっている。「君の名は」は、アニメファンでなくともご存じだろうが、「聲の形」、「あの日見た花の名前を僕等はまだ知らない」、「心が叫びたがっているんだ」等々である。特に、お勧めは「聲の形」である。私は主人公である西宮硝子(にしみやしょうこ)ちゃんに恋をして、ipadの待ち受けにしている・・・誰だ、今、気持ち悪いと言ったのは!?

 

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 私のアニメ映画の入口は、ごく普通にジブリである。もちろんいい大人になってから出会っている。宮崎駿さんの作品は、それまで出会った「動く漫画」の世界とは全く違い、緻密で美しくメッセージ性が強いものだったが、純粋で真っ直ぐな主人公や不器用だが心優しい脇役の描き方まで、共感でき感動するものだった。あの人が世に出ていなければ、今の日本アニメの隆盛はあり得ないことは間違いないと思う。

 

 次の入口は、「エヴァンゲリオン」である。パチンコ屋に通っていた頃、その異様な人気に驚き、映画を見て納得した。宮崎駿にして「私の後継者」と言わしめた庵野秀明という男が生み出した。私と同じ歳であることにも驚いたが、彼はアニメを通して「命の意味」や「使命」を問うていた。わかる人にはわかる、考えない人にはどうでもいいテーマだろうが、そこに敏感な人には共感を得た。そう、オタクは敏感なのである。過敏と言っていいかも知れない。アイデンティティの目覚めを誘う作品である。まあ、このコメントは一般の方には無視してもらっていい。

 

 さて、そういうアニメ好きもあってか、「岩村はロリコンだ!」というレッテルを周囲から貼られているが、私は否定しない。ただ、ランドセルを背負った小学生が好きだというのは、太平町のジャイアンことSさんが一方的に言いふらした誇大表現であり、全くの嘘であるからご注意願いたい。自己の名誉のために申し上げるが、私の興味の範囲はセーラー服までである。ん?充分異常だってか?しかし、勘違いしないで欲しい。必ずしも性的興味の対象だとは言っていない。今にあいつは犯罪を犯すぞと冗談でもあちこちで言いふらさないで欲しい。今の世の中、一方的に濡れ衣を着せられる可能性は非常に大きい。「私はコレで会社をつぶしました」なんて冗談にも言えない。マジな話、お願いしますよ。

 

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 セーラー服に興味が湧くというのは、高校生時代の劣等感によるものが大きいと自覚している。なにせ、男子ばかり同じ面子で40人3年間である。しかも硬式野球部で、朝から晩まで野球漬け。女子生徒と話をするどころか、近くに寄ったこともない。ところが悪いことに我が校の300m先に女子高校があった。どうせなら目の付かない状態なら諦めもつくが、100%手が届かないとわかっているニンジンが、常に目の前で揺れているのである。冬の練習で校外へランニングに出ようものなら地獄である。汗まみれのど汚いユニフォーム姿を横目に、他校の男子生徒が女子高生と手をつないで下校していらっしゃる。てめー今に見とれよ!って何を見せるつもりだったのかは記憶にないが、そうつぶやいていた3年間であった。

  

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 したがって、セーラー服に対する興味は今も根強い。人間というものは、知らないものに対する好奇心は旺盛になるようにできているのである。どういうつくりになっているのか全く知らないが、故に憧れ、妄想を抱く。たぶん白百合のような匂いがするだろうし、シミひとつなく清潔そのものというイメージしか浮かんで来ない。えっ?大事なのは中身じゃないのかって?そ、そうか、いつの間にか捻じれてしまったのだろう、私は。

 

 女性ファンが減るので、そろそろこの話題は止めておくが、若い娘さんを見ると楽しくなり、愛おしくなる。未熟で未完成な純粋な心は傷つきやすい。何かに心を痛めることを思うと居たたまれない気持ちとなり、彼女を脅かす全ての敵から守ってあげたくなる。一方で元気ハツラツ、屈託のない笑い声には一点の曇りもない。愛おしくなるのは当然だろう。・・・え?俺だけ?えーっ?そーかー?あらそう?・・・。

 

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 先日、函館出張に着いたの日が花火大会に当たった。空港からの路線バスに乗り合わせた浴衣姿の女子高生とおぼしき二人は、乗ってから降りるまで、ジブリ映画のようにずっと笑いっぱなしだった。何がそんなに可笑しいのか聞いてみたい気がするのだが、そんなことより、彼女たちもやがて必然として変わって行くのだろう。テレビの前でビールグラスを片手に、股間あたりをうちわで仰ぎながら、「ちょっと、あんたー、枝豆まだぁ?」なんて言うのだろうか。きっと言うのだろう。だからこそのセーラー服なのである。ね、わかるでしょ。・・・あかん、こりゃ確実に女性ファンを減らしたな・・・。

 

 

2017/07/29

余命宣告!?

    激しく咳き込んだ後、ティッシュに痰を吐き出すと真っ赤な血が混じっていた。おお、文人・正岡子規がごとく、ついに来たか、結核?肺ガン?・・・。

 

  正岡

  

   この後、病院に行けば、医者は眉間に皺を寄せ「ご家族を呼んで下さい」などと唐突に言うのだろう。「いや、私に家族はいま・・・」約30分はかかるであろう私の身の上話に、医者は一切耳を貸さず、ならばとレントゲンの白い部分をペンで指しながら、「これが全てガンです」などと直接、引導を渡すのかも知れない。

   「先生、私に残された時間は?」・・・「一般論として聞いて下さい」なんて医療訴訟の予防線を張りながら「残念ですが、短くて半年、長くて一年」・・・私はうろたえることなく背筋を伸ばし「わかりました」と整然というのである。

   私に好意を寄せていたのであろうか、泣きじゃくる看護師に軽く会釈をした後、病院を出た私は、停めてあったクルマに乗り込み、タバコに火をつける・・・って、やめねーのかよ!?そう、今さらやめてもどうにかなるものでもなかろう。煙を吐き出しながら「そうさ、未練なく旅立って見せるさ」とつぶやくのであった。

 

肺  

  

   てな妄想をしていたら、右の奥歯の下の方に違和感があったので指を突っ込んでみると、あれ?血が出てんじゃん。ええっ!?歯槽膿漏!?ありゃ、そっちかよ!歯槽膿漏じゃあ、余命何とかはねーなー。

 

   余命宣告はさておき、加齢による体の変化は、日に日に自覚せざるを得ない状況になっている。なに、たかだか56で加齢も何もあったもんじゃないだろう、なんて思う人は、君が未だ経験をしていない若者だからである。「歳には逆らえない」とは名言である。幸い私の場合は、容姿による年齢予測に著しい影響を及ぼす頭髪については、抜け毛は多発しているものの「まだ、ある」状態なので、そんなにジジイには見えない。だから説得力はないのだが、特に見えないところで着々と老化は進行しているのである。

 

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   一番参るのは、あっちの方、そう、あっちの方と言えばあっちの方だ。たまに、そっちとも言うが、まあどうでもいい。よく人に勘違いされるのであるが、元々、私は強かったわけではない。いやいや、そりゃ好きは好きだよ。ただ、好きと強いは別物だ。女好きとエロ好きの違いだ。私は典型的な前者である。ほっといてくれ!!・・・しかし、それにしても、である。

   その境は厄年頃であった。本厄42歳を過ぎたとたんに、しばしばゴメンとなった。「実るほど首部を垂れる稲穂かな」・・・人間ができて来たからだろうか?全然違う気がするが、いずれにしても、その気持ちがないわけではない、というより、むしろねちっこさは増しているのに、マイジュニア・アイムソーリーなのである。最後に「終わり」と書かれた赤い球が出るという“赤玉伝説”は体験していない   が、ん?もしかして出たのか?気づかぬうちに・・・。

 

   その他、加齢による変化を自覚することが増えている。移動で疲れるなんて、昔は意味がわからなかった。鉄道にしろ飛行機にしろ、ただ乗っているだけなのに何が疲れるというんだ?と思っていた。ところが、日帰り東京出張など、玄関開けたとたん、しば漬けのCMのように倒れこむ。五十肩は四十の終わりからそのままだし、筋肉痛は三日後に起こるようになった。ほど良く飲んだつもりが二日酔いだし、夜中に二度は小便に起きる。想像もしなかった出来事を体験していくのである。この先、何が待っているのか・・・。恐ろしくて先輩に聞く気にもなれない。

 

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   だからと言って、サランラップ?いやライなんとかというところに通って、自慢げに360°回る気にもなれないし、病気を苦におかしな健康食品に手を出すつもりもない。自分に何かを課すという生き方はとうにやめた。未来を憂いて苦しむより、今を自由に生きた方がいい。階段よりエスカレーター、徒歩よりタクシー、ゴルフ場では電動カートなのである。

  

   怠惰な生活のツケが回ってくることもあろう。おそらく、アカンことばかりしてきたので、良い死に方は出来ないとも思う。だからこそ、日々楽しいことしかしないと決めた。平均寿命はあくまで平均、人生はやはり50年である。もうおまけの時間に入っている。そんなに難しく考えなくとも、迎えが来る時には来る。「よ、お疲れさん。なら、行きますか」と笑顔で応えたいものである。

   だが、とりあえずは「りんごをかじると」を買わなきゃな。

 

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