2018/02/09

デラックス弁当

 大阪から多治見への帰り道、名阪国道を運転中に、ふとあることを思い出して亀山JCTで途中下車した。思い出したのは、ある店のある弁当である。またぁ~、おデブちゃんは食うことしか頭にないからなぁ~とは云うなかれ。確かにそうではあるが、それは私には思い入れのある弁当なのである。弁当と言ってもフタが付いていない。ナニ!?まあまあ、説明しよう。


 今から三十数年前、まだ駆け出しの営業マンだった頃の話である。私の仕事は、段ボールメーカーのルートセールス。定期的に顧客先を周り、段ボール箱や段ボールシートの注文を受けて来る役割である。新しく担当を任された営業先の社長に初めてアポを入れると、「昼飯時に来い」と言われ電話を切られた。いくら礼儀を知らない若造でも、人様のところへ飯時に訪ねることが非常識なことぐらいは知っていた。心配だったので前任者の先輩に聞くと、あそこはいいんだと笑いながらの返事である。


 12時少し前に訪ねると、担当者さんから発注書を渡され、打ち合わせは、ものの5分ほどで終わった。ほどなく社長が奥から出て来られ、「おう、自分の車で付いて来い」と、そのまま外へ出られたので、どこへ行くのかとわけもわからず、社長の車をしばらく追いかけると喫茶店らしきところで車が停まった。


デラックス弁当 


 「デラックス2つ。あ、ひとつは大盛な」とその店の常連らしい社長は、私に確認もせずオーダーした。なんのデラックスなのかと思いきや、出て来たのが「デラックス弁当」だったのである。揚げ物に肉、玉子焼きや焼き魚・・・おデブちゃんの大好物ばかりである。ただし、駆け出しの営業マンには贅沢過ぎる。メニューを盗み見ると1000円である。当時のランチは500円が相場。いやいや、こんな甘い話があるはずがない。これは、相当な値引きを要求されるのか、バックマージンでもという話ではないかと、ただでさえ緊張していた私は、さらに緊張した。なにせ、どんな球が飛んでくるのか、こちとら新人だけに守備範囲は、そう広くない。エビフライが喉に引っ掛かりそうであった。

  

 ところが、社長の口から仕事の話は一切出ない。終始、世間話ばかりで、ますます私はどうしていいかわからなくなった。そんな私を察してか、社長は「いいか、遠慮するなよ、怒るからな。」と笑って言われた後、訥々と話し始めた。

 「実は、お前んとこには随分世話になったんだ。ある時、どうしても手形が落とせなんでな、支払いができずに、お前んとこの社長のところへ行って頭下げたさ。そしたら逆に頭下げられたよ、そんなこと電話で済むことなのに、わざわざお越しいただいてすいませんってな。だから、俺が好きでやってんだ、若い衆が営業に来たら飯のひとつも食わせずに帰させられるかって。」・・・。私は恐縮しながらも、ありがとうございますと言い、遠慮なく平らげた。以来、2か月に一度ぐらいの割でデラックス弁当である。


 会社に帰ると前任の先輩に「弁当ごちそうになっただろ?」と声をかけられた。「ハイ、デラックス大盛です。」と答えると先輩は満足そうに笑った。「そこは甘えていいが、仕事では甘えるなよ」と釘も刺された。今思えば、私は本当に人に恵まれていた。今でも私の営業の基本は、あの方たちにからいただいたものである。


 退社のあいさつに行くと「そうか、残念だな」と寂しげな表情をしていただいたのが社交辞令ではなく、本心であることが伝わって来た。それから一度もお会いしておらず、不義理のままである。今もお元気なら90歳を裕に越えられているだろうが、常識的に考えればお会いすることは、もうできない。10年ほど前、件の先輩も若くして逝かれた。「恩返しは恩送り」・・・常日頃から、そう心掛けているつもりだが・・・。


 街道沿いに今もその店は確かにあった。喫茶店なのか、レストランなのか、一時流行ったドライブインという奴なのか、業態はともあれ、典型的な昭和の店ではあるが、まるで時間が止まっていたかのように、何も変わらず営業されていた。

 メニューを開くと、写真入りでそれは載っていた。いまでも変わらずメニューにあったのである。「デラックス弁当を大盛でお願いします。」・・・ウェイトレスのおばちゃんが明るく返事をしてくれた時、後から入って来たお客さんが席に着く前に「デラックスね。」とおばちゃんに声をかけた。この店の人気メニューなのである。三十数年前と何も変わらなかったが、ただひとつ変わっていたことがあった。メニューのデラックス弁当の価格欄には、1100円と書かれていた。

 

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2018/02/01

昨日の敵は今日の友!?

 あっという間に2月である。今年はどんな年になるだろうなんて言っているうちに、始まっちゃっているのである。そんな折、業界紙の一面の見出しを見て、文字通り正月気分も吹っ飛んだ。「全タク連、ウーバーと連携」・・・ん!?どーゆーこと?外敵だぁ!迎合する奴は許さんぞぉ~!てなこと言ってた気がするんだが、手の平返してなんだね、こりゃ。

 

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 もちろん、末端の我々には、道中、何があったのかわからない。まことしやかに聞こえて来ていたのは、中国の滴滴出行(ディディチューシン)が業界一のD社に接触し、インバウンド客対応を中心に連携するだろうという話だけだった。連携の形は、単純である。ディディのアプリでD社のタクシーが呼べる、というものである。今や、インバウンド対応は、国を挙げての最優先課題であるらしい。お金も落ちるし、法律さえも変えてしまう。そこのけそこのけインバウンドが通る、である。

 

 そして、裏事情として、一向に減らない中国人の白タク問題がある。本国で決済するから告発も儘ならない。ディデイとの連携は、特攻薬だと期待される。先日、沖縄で県タク連の会長のお話を聞いたが、タブレットを使った多言語翻訳機を県内の全車に装着予定だという。翻訳機とディデイのアプリで、中国人観光客対応の成果は格段に上がるだろう。

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 すでに、業界最大手のD社さんは、提携タクシー会社を募り始めているという。中国で4億人の登録者を持つ滴滴出行のアプリを導入する日本のタクシー会社が、いったいどれだけの数になるのか、興味津々である。

 

 

 ウーバー_R

 

 一方、ウーバーは、黒船襲来と騒がれながら、これまでタクシー業界との接触を一切断って来た。かくいう私も、実は日本上陸直後、ウーバー日本法人のT社長に、ぜひ会いたいと手紙を書いた。紹介してくれる人もいないではなかったが、正面からのほうがいいと思ったのである。人に手紙を書いて、返事どころか、電話の一本もなかったのは、中二の時にキャンディーズのスーちゃんに手紙を書いて以来である。

 何故、そこまでウーバーが貝になっていたのか理由はわからないが、とにかく、先般ウーバーの人事が刷新されたようである。日本法人の新社長は、打って変わってアクティブだという。年末には、どうやらウーバーが本気で動いていると私の耳にも噂が届いていた。ということは、運行車両は自家用車ではなくタクシーを使う方向でということである。これで、日本のタクシー配車アブリの勢力図が一気に変わる。面白くなって来たぞ!と思った矢先の見出しである。

 

 

 日交アプリ_R

 

 ご存じのとおり、現在、日本でのタクシー配車アプリのシェアトップは、断トツで日本交通さんである。全国にあまたあるアブリでも追随できるものはないほど、その差は歴然としていた。放っておいても寡占率は上がり、その延長線上にコールセンター(配車センター)の受託業務があり、M&A等による系列化が進んで行くのだろうと、私は考えていた。最終的には、日交さんによる天下統一である。そのシナリオは、利用者にとっても業界にとっても良い方向なのだろうと思う。何故なら、行く道には自動運転化が待っている。そうなれば、タクシー業界は大海の荒波に放り出されることとなる。ライバルは、あらゆる業種からニョキニョキ出現する。田舎の中小零細では、勝てるわけがないのである。

 

 さて、全タク連とウーバーの連携、具体的には、どうするのだろうか。私には想像がつかない。つまりは、川鍋会長の腹が全く読めないのである。まさか、全国制覇を諦め、ウーバーにアプリ運営会社を売ることは間違ってもなかろう。インバウンドだけはウーバーに譲るというぐらいしか落としどころはないと思われるのだが、ことは一個の会社の私事ではない。全国のタクシー会社の代表として、ウーバーと連携すると言っているのである。いずれにしても常識的に考えれば、今後、ディディを含めた3社で、全国のタクシー会社の取込み競争が始まることとなる。

 

 げなげな話はいいから、本当のところを知りたい。末端の会員にとっては寝耳に水、青天の霹靂。昨日の敵は今日の友と言われたって・・・。全タク連会長には、説明義務があると思うのだが、今日現在、コメントは聞こえていない。

 



2017/12/29

今年もお世話になりました

   気が付いたら今年もあと数日。永く年中無休の商売をやっていると、年末年始もピンと来なくなるものだが、さすがにブログぐらいきちんと閉めなきゃなと思い立った。区切りがあるというのはありがたいもので、1年を振り返り、リセットボタンを押して新たな年を迎えようという先人が作った慣習は素晴らしいと思う。来年に希望を燃やすのである。


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   さて、今年は私にとって激動の1年だった。昨年の今頃は九州にいた。地域密着のバス事業にありながら、遠隔地で営業所を起ち上げるという前代未聞のチャレンジだったが、まさに青天の霹靂。予想もしない出来事により頓挫し、撤退した。


 その敗戦処理も終わらないうちに、今度は大阪の話が持ち上がった。物が言えない子供でも、痛い思いをすれば二度と同じことをしないものだが、私は元々思考回路がおかしいのか、どう考えてもリベンジのチャンスとしか思えず、間髪入れずに飛びついた。懲りない奴なのである。


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   幸い、痛い思いから学んだこともある。考えてみれば滅茶苦茶な話だが、クライアントに事務所や車庫の設備投資なんてできないから、あんたんとこの土地と事務所を貸してくれと、プロポーザルの席でしれっと言って見ると、「なるほど」と通ってしまった。これ以上の詳細は契約上、申し上げられないが、実は双方にメリットのある提案なのである。痛い思いをしたからこそ出た知恵なのである。


 ところが結局、今期決算は大赤字である。しかも額がとんでもない。経営者としては、切腹もんだが、あたりまえである。2ヶ所も進出し、1ヶ所はポシャリ、始まった1ヶ所も売上は期づれで来期からしかカウントされない。なぁに、決算なんて動いている数字を無理に止めて切り取っただけのものである。そのうちマックロクロスケでいっぱいになる。過去にしか金を貸さない金融機関には通用しないだろうが、どういうこともない。

 


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   一方で、今年は、どでかい夢を持つプロジェクトも立ち上がり、未来シェアという公立はこだて未来大学発のベンチャー企業設立の一員として末席に加えさせていただいた。資本の集まり方や業務提携依頼が中小企業とは全く違うことに驚き、興奮した。「あいのり」という新たな公共交通手段を産出すために、大学が開発したシステムで、地域公共交通に革命を起こすことが狙いである。団塊の世代が自ら自家用車を運転できなくなった時、社会は我々に感謝すると、私は信じて疑わない。来るべき自動運転の時代にも求められるツールである。これが叶えば、もう死んでもいいと思う。それぐらいのものに出会えたことに感謝している。来年は、いよいよ具現化して行く。誠に楽しみである。

 

 

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 さて、私がライフワークとしているバックパッカーもどき旅行・・・マイル利用の貧乏旅行だが、ドミトリーには泊まる根性がない・・・今年は、台湾2回、香港、マカオ、ベトナムへ行くことが叶った(韓国は数に入れない)。仕事の絡む国内では、凄まじい。武雄温泉、別府温泉、鹿児島、函館、防府、福山鞆の浦、備前高松城址、諏訪、松山、高松、和歌山、那覇、久米島、明石・・・もちろん、東京・大阪は数には入れない。多動性症候群の本領発揮である。それでも例年より少なかった。実務に追われた証拠である。新規事業は、とにかく予期せぬトラブルが生じる。現場から離れ、企画屋として生きて行くと心に決めながら、点呼記録簿に印鑑を押しているようでは0点であるが、これも仕方がない。ローマは一日にしてならず、である。


 とにもかくにも年が明ける。希望に満ちた年である。来年は、さらに新規営業所を1ヶ所立上げ、新規事業の計画もある。未来シェアプロジェクトも拡大をして行き、アンコールワットを見て、もう一度ホーチミンのおねぇちゃんに会いに行かねばならないし、ハワイでゴルフもしなければならない。そう、そういうふうに、したいことだけをやり、嫌なことは一切せず、行きたい時に行きたい所へ行く。それが為の人生である。


 本年も誠にお世話になりました。


 来年もよろしくお願い申し上げます。


 良い年をお迎えください。


平成29年 年末


岩村龍一


 


2017/10/09

痛風ですね

 アパート前の田んぼで稲刈りが始まった。この辺りは、だんじりの本場らしく、どの町内でも通りには提灯がぶら下がり、秋祭りの準備に忙しいようである。真夏に越して来たが、いつの間にか本格的な秋となった。

 

 新しい営業所の立上げが、いよいよ本格化し、コミタクのバスが大阪の街を走り出した。我々の仕事は、時間通りにバスを走らせるという単純かつ明快な仕事だが、これが結構手間がかかる。運賃見積もりから始まり、契約、時刻表等の運行企画策定、車両の調達や求人、教育、営業許可の取得・・・。バスが走り出したら走り出したで、どんな理由にせよ穴をあけることはできない。我々が手を抜けば、立ちどころに巨大物流センターが止まる。予測出得ることすべてに備え、万全を期す。当たり前を当たり前にこなすことに全力を傾ける。仕事は、単純なほど難しいのものなのかも知れない。

 

 始発が朝の6時から動き出し、終発のバスが帰って来るのが夜の11時。労働集約型産業の宿命として営業時間は長い。軌道に乗れば放っておいても回るのだが、立ち上がりはそうはいかない。その全てに付き合わされることになる。産みの苦しみがここにあるのだが、だから起業は面白い。日々何かが確実に変わって行く。それを自らの手で作り上げていく実感は、働き方改革などと怠ける言い訳を考えている輩にはわかるまい。体はしんどいが楽しくてしょうがない、止められない止まらないカルビーの、なのである。

 

 とはいうものの、全てを独りでやれないので、本社から応援に来てもらった。広いと持て余していた2DKのアパートは、たちまち合宿所となった。2日目の夜、相当興奮していただろう私は、“やってしまった”のである。スーパーで買込んだ半額シールの総菜をつまみに、ワイガヤ飲んでいたところ、ふと時計を見ると2時30分を針が指していた。「のやろ、電波時計のくせにいかれてんじゃねーかよ!」と言ったら、「いや会長合ってます」と部長。「は、はい!?」・・・。私は、いつの間にか暴走していたのである。エヴァのそれのように、それはもう誰も手を出すことはできず、神のごとき領域のイッチャッテル状態を呆然と見守るしかなった・・・ようである。次の日、というか、その日、というか、もうすぐ・・・5時になると社員が来る。

 

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 「バーロー、どうせ俺はクルマ乗らねぇんだし、ちょっとアルコールチェッカー貸せや」と点呼の最中の運転手からアルコール摂取量検知器を掴み取り、ふぅーっと息を吐いてみた。ピピピーッという音と共に液晶画面のバックライトは赤に変わり、「0.25」という数字が出た。「なにやってんすか、遊び道具じゃないっすよ」と運転手に窘められ、「おお、ちゃんと正常じゃねーか、チェックしてやったんだよ」という私に「乗務禁止命令です」って、キミ、何うれしそうな顔してんだよ。

 

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 やはり、この世に神様はいる。お天道様は見ている。その日の夜のことである。神は我に罰を与えたもーた。右足の親指付け根部分がピリリとし始めた。ベテランの私にはわかる。痛風の発作である。「来る。きっと来るぅ~♪」サダコを歌っている場合ではない。バーロー、んなもんで酒やめられるかぁ、痛風なんてよー、胃潰瘍や結石と比べたら鼻くそのようなもんだでよー」・・・確かに痛みの順位で行けばそうだが、間違っても鼻くそではない。風が吹いても痛いというのである、痛いのは痛い。靴下も履けないどころか靴も履けないどころか、歩けないということは這うしかない。

 

 痛風ですね

 

 横たわる私を見下げながら、常務である弟は「抵抗力が落ちてんだな」と一言。加齢によるとおっしゃられたいんですね、あーた。「会長、ゆっくり休んどいてください」という運行管理者は、お腹の中は別として、関西弁特有の優しいイントネーションでいかにも心配してますぅという感情を表現する。確かに若くはないか。コミタクを起ち上げた時は、平気で3ヶ月ほどこんな生活をこなした。あれから15年目を迎える。そうだな、自覚しなきゃな。窓の向こうで秋の虫が鳴いている。チンチロリン。

      

 

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 ・・・あれから1週間経っても、まだ足の腫れが引かない。右足に「ギブス装着用特殊サンダル」なるものを多少複雑な気持ちでA社の通販で買い、なんとかひきづって動いている。3度目の痛風発作だが、こんなことは初めてである。これまでは2、3日日で腫れと痛みは取れた。そうか、缶ビールを半分にし、芋焼酎を泡盛に変えても効果はないということか・・・。昭和を代表する稀代の作家、青島幸男の名文句が思い出される。よし、わかった、今日は水で薄めよう!

あの人は、まことの天才である。

 

2017/09/17

大阪のスーパーの総菜と陳列棚

 暑い暑いが口癖となっていたのがウソのように、朝晩涼しい風が部屋に吹き込んでくるようになった。世の中がどうあろうと、自然は忠実に季節を巡らせる。あっという間に襟を立てることになるのだろうが、季節を感じないような暮らし方はよそうと思いながら、世知辛い流れの方に引き込まれている。何がそうさせるのか。残念ながら私には、まだまだ降りる勇気も捨てる勇気もないということなのだろう。

 

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 大阪で立ち上げる事業が、いよいよ本格的に進んで、先日、新入社員8名を迎えて研修を始めた。驚くことに、求人募集には80名を超える応募があり、50名を超える方と面接をし、10名の方に採用通知を出したのであるが、2名が入社辞退、1名が研修初日に「私には合わない」と言って帰って行った。競争率10倍の難関を潜り抜けたというのは数字だけで、我々には見る目が全くないのか、入社辞退が3割ということになる。人それぞれ色んな事情があるのだろうと、物分りのいいふりをしないとやっていられないが、正直、ええかげんにせい!という感情を持ったことは否めない。もちろん、我々に欠けているものもあるのだろうが・・・。

 

研修  

 

 “働き方改革”などと言って、この国は本当に大丈夫なのか。隣国ではミサイルをぶっぱなし続け、彼の国では札束を懐に巻いて買い出しに来ているというのに。なんともやるせない気持ちになる。働くことは楽しいことなのに、いつの間にかおかしなことになっている。労働者の権利もいいが、権利よりもっと大切なものがあるだろう。しかし、こうして口を開けば、また誰かが突っかかって来るからやめよう。価値の分からない者に価値の話をしても、面倒くさいだけで何の意味もない。いかん、愚痴っぽい話になってしまったな、話題を変えよう。

 

 さて、住んでいるアパートの徒歩圏にコンビニがない。飲食店も皆無だから、車で出かけて、スーパーで総菜を買って帰る生活となっている。イオンもイトーヨーカドーもないから、地元資本のスーパーである。まあ、スーパーといえば日本のどこでも同じようなものが並んでいるのだが、やはり地域ならではの特徴がある。大阪のスーパーの総菜コーナーには、驚愕の天ぷらが売っている。まずは色に驚く。まっ赤なのである。赤いてんぷらと言えば、思い出すのはカニカマぐらいだろうが、ご当地大阪では、紅ショウガなのである。紅ショウガと言えば牛丼である。次に思い出すのは豚骨ラーメンぐらいか。いずれも細く切り刻んであるのだが、ここの紅ショウガは、そのままズドンである。こ、これ食べるんですか?などと地元の人に聞けば、ボケカスの嵐を浴びるので怖くて聞けないが、どうやらうどんの上に載せるのがポピュラーらしい。うまいまずいは置いておいて、私としては何故そんなことに至ったのか知りたいものだが、それが当たり前の人たちには疑問になりようがない。うどんと紅ショウガ天はお友達という事実がここでは全てなのである。

 

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 だしのコーナーに行っても、ご当地以外の人は違和感を持つだろう。いわゆる醤油ベースの「つゆのもと」、そう、あのペットボトルに入った万能調味料である。そば、うどんのスープだけでなく、煮物、炒め物、和え物、全てにマッチングするウルトラ優等生調味料であるのだが・・・極端に少ない。しかも、どういうわけか小瓶ばかりである。その代わり、中央にドカンと山積みにされているのは、箱に入った粉末スープである。そう、知る人ぞ知る「ビガシマル」なのである。横綱、いや王者、いやいや支配者である。支配者は、他の小瓶を見下ろしながら「自分ら、わかってんか?ここは大阪やでぇ」と睨みを利かせている。恐るべきことに、「ヒガシマル」の箱には、そばのその字も書いてない。あくまで、うどんのための粉末スープなのである。それは、江戸のそばなど眼中にないという意思表示なのだ。「そばってナニ?食いもんけ?」と鼻くそのような扱いなのである。比べて、うどんは関西のソウルフード、頭に「お」を付けるほどの信奉心である。「おうどんはだしが命やなあ」とにんまりしながら、お湯で溶かした粉末スープをすすり、真っ赤な天ぷらをガブリと口にしてこそ大阪人なのであろう。

 

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 と、味噌コーナーの陳列棚を見ると、なんと見慣れた小さな箱がポツリと置かれてあった。あ、赤だしである。そう、名古屋は大阪の敵ではないのだ。「東京は嫌いやけど、名古屋はどっちでもええでぇ」という大阪人ポリシーがスーパーマーケットの陳列棚を通して、堂々と発揮されているのである。もちろん実際に買う人は一部のマニアだけであろう。しかし、置かせてもらっているということに大きな意味があるのである。

 

 「ほう、岐阜から来てるんけ、遠いとこご苦労さんなこっちゃな。しゃーけど自分らええなあ、スキーめっちゃうまいんやろ?」とある人に言われて苦笑いをした。岐阜は眼中どころか、右足の小指の爪の3mぐらい先にある存在らしい。この人には、できるだけ早いうちに「自分、おもろいなあ」(=「同じ戦士として認めてやろう」の意。)と言われてみたいものである。ただ、発音の悪いにわか仕込みの関西弁だけは、しゃべらない方がいいらしい。その瞬間、宣戦布告状態となるという。郷に入れば郷ひろみ。・・・まだまだ、あかんな。