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2019/05/13

病的な特性

 腐れ縁の女友達から「しかし、あんたの女好きは病的だね」とズケっと言われた。私に面と向かって、こうはっきりと物を言う奴は希少だが、当たっているだけに言い返すこともできない。ただ、病的とはなんだ!どこでそう思うのだと聞き返したら、「だって顔に書いてあるもん」と言う。おいおい、どこに書いてあるのだそんなこと!?おでこかほっぺたか!?とむきになりそうになったが「目がねー、どこ行っても女ばかり見てるもん」と指摘された。うう、そんなやらしい目をしているのか、オレは。まあ、そうかも知れない。きれいなおねぇちゃんのことは、いつも気になる。いや、常に無意識のうちに探しているのかも知れない。しかし、行く先々で変態扱いされてもかなわないので、それはあんた以外にもバレているものなのかと聞くと「いいんじゃない?女好きが好きな女もいるから」・・・あら、そーですか。

 

女好き

 

 そう、私は女性が好きである。できることなら、世の中のすべてのおねぇちゃんとお友達以上になりたいと思う。あ、いや、もちろんブスとババアは除く。んなもん、邪魔だ、どけ!である。私の女好きは美人限定だ。え?そんな女性を敵に回すような発言をしていいのかって?じゃあ何か?嘘をついてブスとババアに迎合しろと言うのかね。岸見先生の「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社刊)を読みなさい。アドラー君の教えであるぞ。ただ、その定義は曖昧だ。そう、ブスやババアの境界線の基準は私の中だけにある。まあ、言っちゃあなんだが、その許容範囲は結構広い方だと思うから、ほとんどの女性は安心してくれ給え。

 

美人

  

 さて、私のこの女好きはどこから来ているのか、考えてみた。ひとつには少年期の環境が与えた影響が大きいのだろう。物心つき始めた頃から、私は叔父によく遊んでもらった。叔父の運転するクルマによく乗せてもらったのだが、通り掛るバス停に女性が立っていると「駅まで?乗ってく?送るよー。」とよく声をかけていた。叔父は、その行為を「ジェントルマンとしてのマナー」だと言った。なるほど、男ならそうすべきなのかと少年は素直に理解し吸収した。時代は、高度成長期である。つい先ごろまで、少しく社会的な地位が高い人なら、別宅のひとつやふたつ持っていて当たり前という時代である。宵越しの金は持たねぇという粋な男が、午前様や朝帰りで女房に叱られるようなことがあれば、逆に離縁問題である。つまりは、男に対してすこぶる寛容な時代が日本にもあった。そういう中に私は育ったのである。

 

 一方、我が家は男系、物干しざおに女性物が干されたためしがない。加えて野球三昧の日々。高校3年間は男子40名の汗臭いクラスで、朝6時に家を出て夜9時に帰る毎日では、女子高生に近づく機会は全くない。遠くから見かけることはあっても、口を利くなどあり得ないことだった。この極端に抑うつされた青春時代の中、あるのは勝手な妄想だけである。例えば、「女子高生はいい匂いがする」という類のものであるのだが、気持ち悪いと云うなかれ、少年にとっては至極真っ当な妄想であり、やがて妄想は確信に変わる。こうして、自分に都合の良い妄想を繰り返した結果、女性は私の中で素晴らしい存在となり、その憧れが病的なまでに進化したのだろうと思う。

 

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 もうひとつ、DNAや遺伝子の関係もあるのだろう。種の保存の本能により多様化を目指した生のプログラムは、自身の意向を凌駕し持って生まれた才能を保有する。そう、おそらく調べればはっきりするだろうが「女好きDNA」を私は持って生まれたものである。神が私に与えたもうた、つまりは神の意志によるものなのである。そう、私の女好きは、神様のせいだ。いや、居直ってるわけではない。そうして人は造られているのである。

 

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 ただ、ここでハッキリとさせておきたいのだが、「女好き」と「色好き」は違う。同じように見えても「色好き」は、その行為自体を好むのである。そう、誰彼なく、美とか心とか、そういうものには無関係に、単に動物的な行為を求める輩である。そういう人たちと一緒にして欲しくないのである。我々、女好きには、高い精神性と対象に対する崇高な愛がある。つまりは、純粋で気高いものなのである・・・。

 ちょっと待て、なんでオレはこんなカミングアウト的話をしてんだ?そうそう、「特性」の話でオチを付けようと思ったんだよ。神に与えられた己の特性を活かして生きよう!って・・・あかん、無理があるな。まあいいや、たまにはこういうくだらん話もいいだろう。で、君はどうなんだ、女性は好きかね?まさか、色好きじゃないだろうねぇ~。

 

 

 

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2019/05/05

十連休に令和を想う

   年号が変わり、時代は令和となった。マスコミでは昭和、平成との比較をし、どんな時代となるかという話題で持ちきりだが、結論としては予想ができないでいる。間違いなく言えることは、現在がテクノロジーの進化による大革命期であるということだが、進化の先が誰にも見えていない以上、予測は不可能なのであろう。


令和

 

   昭和が戦争と経済高度成長、平成がバブルの隆盛と崩壊に象徴されるが、このGWが十連休というアホらしさを、国民が何の疑いも持たずすんなり受け入れていること自体、もう令和は始まっているのだと思う。連休明けに出社したら会社がなかったなんてことは、驚くことでも珍しいことでもなく、ごく日常的な現実である。我々、昭和生まれの親父なら、10日も休んで不安にならないほうがおかしいのである。

  

   おそらく、この労働観の違いが令和という新しい時代に反映されるのであろう。与えられた仕事をこなすだけで生活に十分な報酬がもらえることを当たり前とし、権利主張ばかりが先に立つ風潮がよろしいはずがないが、何か見えない力に日本人が骨抜きにされているとしか思えないのである。まあそれはそれとして、この先、働き方改革で週休三日になると喜ぶアホどもが、路頭に迷う時代とならないことを願いたい。

 

 もちろん、人の幸せが金だけではないことを明確な基準として持ち、別の物差しやら価値観やらで人々が幸せを実感できるのなら、それは素晴らしい時代がやってくることになる。できることなら令和は、後者であって欲しいと思う。つまりは、テクノロジーの進化を上手に利用できるか否かである。ただ、それができるのは、もはや我々の世代ではない。私としては願わくば、キャバクラで令和生まれのおねぇちゃんを口説いてみたいと思うのだが、少なくともあと18年か・・・。何の話じゃ。

 

 さて、GW中、ある観光地に行った。若い人に混じり、牛にひかれて善光寺である。まあ、誰とどこへ行ったのかは相手に迷惑がかかるので伏せるが・・・どんな迷惑かって?まあ気になさんな。いや、そういうと気になるのか、まあいいや・・・なんにせよ、私は行く前から気が乗らず、行ってからも「この場所のどこが面白いんだ?」と不思議でならなかった。

 

 同行者に尋ねると「バエるから」という。「インスタ映え」の「映え」である。ハエるではなく、バエると濁るのが正解らしい。そこに行く目的は、写真を撮って行って来たとインスタグラムに流すことにあるのである。ふーんとしか言いようがなく、どうにもおじさんはついて行けないが、なるほど、そこにはバエる仕掛けがあちこちにあり、有名「バエスポット」には、長蛇の列ができていた。


インスタ

 

 観光地の集客のポイントは、今や「バエる」かどうかなのである。ひと昔前なら、グルメと景色と温泉である。口に入るもの、目に映るもの、肌で感じるものが旅行の原点であると思っていたが、そんなことはどうでもいい。写真写りがいいかどうかのほうが重要なのである。これはビジネスにも大きく関係する。美味かろうが不味かろうが一切関係ない。バエる飲食店が大繁盛するのである。どうバエるか・・・!?。

 

   あかん、バエるものとバエないものの違いがわからない。かつて、流行の波に乗っていることを「ナウい」と言ったが、自分が常にナウいほうだと思っていた自尊心は見事に崩壊した。いや、その前に反省だ。なにせ、ガラケーにipadをセットで持ち歩く私だが、インスタグラムのアプリはダウンロードしていない。主要なSNSは、FacebookとLINEである。若い同行者に言われた言葉が追い打ちをかける。FacebookもLINEも主要ユーザーは、もはや30代後半以上だという。こうやって本人が知らないうちに取り残されて行くんだろうねぇ。悔しいが。

 

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   私は、昭和の高度成長期に少年時代を過ごし、バブル絶頂期も経営者として体感した。そのしっぺ返しも十分経験したが、つくづく良い時代に生まれたと思う。天皇陛下とひとつ違いだから、おそらく令和で人生を終えることになると思うが、時代を動かす中心には触れていたいと思う。明るく楽しく元気よく、「バエる」生き方を目指したい。そして、どうか令和に生きる人々が、いい時代に生まれてよかったと言える時代にしたいものである。

 

2019/04/15

私がタクシーを止めた理由

 本日、4月15日をもちまして、当社は一般タクシー業務を廃業いたします。創業より16年、これまでご支援とご愛顧をいただいた皆様に厚く御礼を申し上げるとともに、今回の措置で多くの皆様にご迷惑とご心配をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます。


2019-04-02 業務移管記事

 

 さて、一部の方には寝耳に水のように受け止められたかも知れないが、実は3年ほど前から道筋は決めていた。収益悪化が一番の理由である。市場自体が年々縮小し、リーマンショックの後、さらに顕著となった。弊社ではバス事業の増収でなんとか賄ってきたが、ここへ来てそれも限界となったのである。忙しそうに市内を走り回る弊社のタクシーをご覧になれば、そんな馬鹿なと思われるかも知れないが、実情は厳しい現実と対峙していたのである。

 

 ただ、収益悪化だけが理由ではない。固定給制度を堅持していた弊社の場合、歩合給へ転換して業務を存続することもできないではなかったが、5年後、10年後を見た時、一時しのぎの延命措置では、根本的な解決にならないことは明白である。創業時、運転手の給与を業績浮沈のクッション材にするなど言語道断だと考えた我々のビジネスモデルは見事に崩壊し、タクシーを取り巻く経営環境はこの16年で激変したのである。


 そして今後も、さらなるIT化により、タクシー100年の歴史を凌駕する大変革を来たす時代となる。もはや20台規模の零細事業者が自力で立ち向かえるような状況にはない。もちろん感情的には穏やかであろうはずがない。私にもタクシー愛があり、コミタクへの思い入れはある。ドライバーたちに違った環境を受入れろというのも忍び難いものでもある。しかし、時代の変化を受け入れる外はない。地球上のルールである。強い者が生き残るのではない、変化のできるものだけが生き残れるのだ。


 差し当たり現段階で言えることは、今のタクシー事業の収益構造では、スケールメリットの追求が肝要である。経費の7割を占める人件費は、運転手不足や「働き方改革」から、削るどころか今後増やしていかなければなるまい。直接運送原価である車両費や燃料費も高騰を続け、圧縮ができるのは配車費用や事務経費等の一般管理費のみである。間接費用である一般管理費は、10台より100台、100台より1000台を稼働させた方が優位であることは言うまでもない。スマホ配車アプリはもとより、コールセンターをミャンマーあたりに置くことが現実的になる。


 ところが、実に法人タクシー事業者の約7割が10台未満なのである。これを考えれば、業界再編は必要不可欠。三ちゃん企業の努力や我慢は認めるが、もはや限界に来ている。一方、札束で横っ面を張るようなM&Aが成り立つ状況でもない。事業者が力を合わせ、相互扶助の精神を持ちながら地域の足を担う。競争によって敗者を市場から追い出す一般市場とは違う方法を取っているタクシー業界であるからこそ、それしか道はないのである。


 私がタクシー事業の継続を断念したのも、最終的にはここに理由があった。自力での再建より、パートナーと組むことに意義があると考えたのである。当初は、全国チェーンの業界最大手クラスのパートナーを考えたが、地域内に軋轢を生む可能性は否めない。不要な競合の引き金を私が引くことは、やはり避けたかった。業界再編を行うなら地域内の事業者同士のほうがいい。それは利用者にとっても同じであろうと考えた。 


 格好をつけて言うわけではないが、経営者たるもの、自社の利益が一番重要なのはもちろんだが、社会の、特に地域にとって有益かどうかを判断材料のひとつにしなければ、正しい経営はできないと思っている。私欲だけでは持続できないことは歴史が証明している。一時的に捨て駒となっても、地域の事業者における業界再編の道筋を少しでもつけられたら、それはとても価値のあることだと私は考えた。


 ここでは詳しく書けないが、残念ながらその思いは、最終的にパートナーへは伝わらなかったようであるが、しようのないことでもある。5年後、10年後のことより、大切なことは足下であり自分であるという立場にいる人もいる。見えない人に見ろと言っても、それは土台無理な話だ。


 いずれにしても、今回のことでつくづく経営者は因果な商売だと思った。人から波乱万丈だと笑われる私でさえ、いままで経験したことのない心情となった。なにせ、命を懸けるほどの思いで創った事業を、たった16年で自らの手で潰すのである。多くの人にご迷惑をかけ、ご支援を受けながら、誠に申し訳ないことである。そして今、私の決断によって痛みを与えている方々に、心よりお詫びを申し上げたい。今の痛みがやがて実を結び、どうかお幸せにと念ずるのみである。


 ただ、私はあくまでも前向きな撤退だと思っている。終わりは始まりなのである。始めるために終わらせたと言ってもいい。おかげ様で大手取引先を中心にバス事業は安定している。一方、地域内では移動に関して問題山積である。すでに当社内で新プロジェクトが始動している。使い勝手が良く安価なAI配車乗合タクシー、現在地域内では担い手不在の福祉輸送のしくみづくり、運行管理業務を代理する運行支援事業、そして、高齢者のお出かけを増やす企画創出。この4つの事業を喫緊の課題と捉え邁進して行く。


 タクシー屋は止めたが、創業の理念は変わらない。因果な商売とは言え、神が私に与えた役割でもあろう。自分の性質をみんなのために生かし、突き進むしかない。みんなの「おでかけ」をより良くするために、私は存在している。

 今後とも引き続き、皆様方のご支援とご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 業務統合のお知らせ 一般向け




2019/01/07

年の初めに

 約8ヵ月ぶりのブログ更新である。何か特別な事情で更新しなかったわけではない。そもそも書きたい時に書くと決めて始めたブログだから、書きたくなけりゃ書かないのである。人には向き不向きがあって、自分に何かを課すという行為自体が私を萎えさせるのである。こんなブログひとつで期限など決めてどうするよ。ただでさえ、あっちの方も萎えて来た年ごろであるから、日々の生活そのものを萎えさせる理由は何ひとつない。それでも書きたくなったのである。まあ、年が明けたからね。

  

 ごぶさた_R

 

 秋口から年末にかけて、しばらく実務をやっていた。そう、運行管理者業務である。営業所に詰め、点呼を行い、運行状況を無線とGPSで確認し、日報等書類の管理をする。運転者に退職者や病欠者が相次ぎ、業務存続のためには否応なしの状況であったのであるが、2か月も続けていると余計なことは考えなくなる。それは久しぶりの感覚であった。うまくは言えないが、実務さえしていれば安心なのである。明日は今日と同じようにやって来る。特別な下手を打たなきゃ、明後日も明々後日も普通にやってくるのが当然である。仕事をしているという確実な実感もある。私としたことが、経営者にとってはレッドゾーンに入っていた。私の素晴らしい適性を殺す悪しき環境だ。多動性症候群、妄想癖、基本スケベという神が私に与え給うた恵まれた特性が活かせない。これはアカン。私は決意した。年明けから二度と実務には就かない。業務が滞る?何言ってんだ、私が滞るほうが問題だ。

 

 運行管理者_R

 

 時代は大変革期を迎えている。凄まじいテクノロジーの進化が我々の日常を変えていく。折しも平成最後の年を迎え、年号だけでなく後年「〇〇元年」と呼ばれる年になるだろう。しかし、どう変わるかは残念ながらさっぱりわからない。得意の妄想も5年先がやっとである。だからこそ面白いのであるが、確実に変わるのは交通を取り巻く環境である。これまでこの世の春を謳歌していたトヨタがソフトバンクと手を組んだ。天下のトヨタがまるで白旗を挙げるように、ポッと出の通信会社であるソフトバンクと五分の兄弟盃なのである。豊田章男は「自動車会社からモビリティ・カンパニーへ」と言った。未だに「景気が戻れば」とほざくアホ経営者にはわかるまい。ハンドルや運転席の付いた車など、存在しなくなるのである。もちろん、社会的実現は容易ではない。何年掛かるかは今のところ断言できないが、それでも、自動運転車で完結ではない。その次がある。やがてクルマは宙に浮く。技術的には容易だろう、クローン化するだけのことである。そう、バックトゥザフューチャーの社会がやって来るのである。もちろん、私がこの目で見る可能性は極めて少ない。が、これは妄想ではない。今後の行く道なのである。

 

 豊田アキオ_R

 

 さて、実務を放って、今年は何をやるか。個人的な話であるが、私は私の親父が逝った歳と同じ歳になる。つまり、いつ逝ってもおかしくない歳となった。そうであれば、いよいよ思いを成し遂げたい。コミタクも創業後16年目を迎える。ご存知の方も多いと思うが、当社はそもそもタクシー会社を起そうと思ったわけではない。タクシーより安くバスより便利な乗り物を創出しようとした。結果的に車の数が減り、トヨタを敵に回すと真剣に思った。当時、シェアなどという言葉はなかったが、「あいのり」の移動手段が社会の課題のいくつかを解決すると胸が高鳴った。スマホの出現もAIの進化も予想し得なかったが、今、いよいよである。縁あって「未来シェア」という会社に参画した。日本で唯一のリアルタイム対応可能な完全自動配車システムを持つ。道路運送法の障壁で減速を余儀なくされているが、確実に社会に求められるものである。どんな形にせよ、5年以内に多治見市で新しい「あいのり」を本格稼働する。その布石として、今年は全国を飛び回ることとなるだろう。コミタクは、タクシー・バス会社から「モビリティ・サービス会社」として変貌を遂げて行くのである。というわけで、今年もよろしくお願いします。今年は、なるべくブログ書くね。

 

2018/05/15

ドラッグストアの198円弁当

 近所にドラッグストアが乱立している。ドラッグストアといえば、薬屋さんのはずだが、最近では肉や野菜も並んでいて、ということは、競合相手はスーパーマーケットにまで至るということだ。あれでやって行けるのだろうか?と、ついつい商売人としての好奇心が沸く。 

 

 商売人といえば、かつて飲食店でひどく家人に叱られたことがある。ブツブツ言わず、黙って食えと言うのであるが、本人はそんなに文句を並べたつもりもなく、ただ、これは冷凍食品で在庫が利くからいいとか、原価率がいくらだろうとか、もっとこうすれば効率が上がるのにとか・・・。まあ、お店にとっては余計なお世話なのだが、つまりは、家人にとっても余計な話なのである。

 

 あんたは金の話ばかりするとも言われた。そんな言われ方をすると、銭に汚い守銭奴のような非難を浴びせられているように思うから、温厚なリュウちゃんもカチンとくるのだが、こちとら365日24時間、売上や資金繰りのことが頭から離れないのである。万一、給料遅延でもした日には、この腹掻っ捌いて詫びなきゃならん立場なのであり、常に他人の商売から何かヒントはないものかと、ない頭で考えているのである。そんな生活を40年もして来た。今更どうしようもない性なのだ。

 

 さて、ドラッグストアである。ある平日の午前中、トイレットペーパーを切らして買いに出た。え?なに?いや、そりゃ俺だって自分のケツぐらい自分で拭くよ。だから、トイレットペーパー買いに行って何が悪い。あ、そう、そういう話ではないんだね。まあそりゃ、いいとして、まず驚いたことは、男性高齢者の買い物客が多いことである。おそらく一人暮らしなのだろう。奥さんに先立たれたのか逃げられたのかは別として、おじいちゃんが一人で買い物しているのである。買い物カゴの中身を盗み見ると、食品か多い。惣菜とお弁当が目に付く。なんだか侘しいなあと思ったが、振り返れば我も全く同じである。スーパーの総菜で晩酌する毎日なのである。

 

 198弁当

 

 

 早速、お弁当コーナーを覗いて見ると、さすがにスーパーほどではないが、結構な種類と量である。ただ、値段を見て驚いた。メインのお弁当が298円である。ニッキュッパって語呂はいいが、いやはや安い。お弁当の中身も捨てたもんじゃない。幕の内風のものから丼物まである。いや、ちょっとこりゃ安すぎるんじゃないかと思いながら、ならば、いっそのこと198円のやつを食ってみようと「のり弁」を手に取り、あまりに色が悪いので、隣に並んでいたカットレタスとともに昼食にしようと買って帰った。

 

Inked198成分表_LI  

 

 

 それにしても198円かぁ。こんなんで元が取れるのかねぇ。やっぱ、やばいんじゃないか?アカンやつで作ってあるとか。と思いながら何が入っているのか、弁当の裏に貼ってあるシールを見てみた。サ、サッカリン!?ええ!?大丈夫かよ。うーん、pH調整剤・・・V.C・・・赤106、赤102っていったいなんだ?説明になってないよ、これじゃ。わけがわからんけど、体によさそうなもんは入ってなさそうだね。と、カットレタスの封を開けると、あらら、色が変わってんじゃん!こりゃ気持ち悪くし食えねーよ。ま、いいか、野菜は夜採ろう。

 

 レタス

 

 味は悪くない。うまくもないが、かといって食えないレベルではない。そーか、ひとり暮らしのおじぃちゃんたちは、こういうものを食っているのか。アカンやつだろうが何だろうが、どうせ老い先短いこの身の上、お弁当に何が入っているか、どうでもいいのかもしれない。おお、いわゆる悟りというやつか。ん?ちょっと違う?大切なのは、中身より誰と食うかなのかも知れない。飯は、誰と食うかで味が違う。これは、ちょっとした社会問題か。

 

 それにしても、丸まる儲けても198円である。ドラッグストアは、なぜ成り立っているのか、ますますわからなくなって来た。何か秘密があるはずだが・・・。あまりにも儲からないタクシー業である。隣どころか、10軒先の芝生まで青く見える状態だ。何かヒントはないかと、ついつい考えてしまう毎日なのである。